令和6年度入学式を執り行いました
福田裕穂学長は式辞の中で、「未来を作るのは皆さんです。ノーベル賞学者にも、ベンチャー企業の創始者にも、何にでもなれる可能性があります。是非、大学では色々なことに挑戦して自らを磨いてください。秋田県立大学の学びの中で、心からやりたいことを愚直に追い求め、国際社会で活躍する力を培い、未来の秋田県、未来の日本、さらには未来の地球を創造するプロフェッショナルとして活躍することを願っています。」と式辞を述べました。
また新入生を代表して、応用生物科学科 兜森 煌介 さんが「日々の発見・感動を大切にしながら、常に未来の大きな目標を見据えて勉学に励みます。常に未来の大きな目標を見据えて勉学に打ち込み、自信と誇りを持って自らを向上させ、先輩たちとともに本学の無限の可能性を切り拓いていきます」と力強く宣誓すると、在学生代表の情報工学科 小番 涼音 さんが「挑戦したいと思い描いていることがあれば、その気持ちを大切にして積極的に時間を使ってください。自ら行動することで、そこで得る経験の数も、そこで出会う人の数も、自分なりに試行錯誤した時間も異なります。今しかできない経験を積み重ね満足のいく大学生活を送ってください」と歓迎の言葉を述べました。
福田 裕穂 学長 式辞
新入生代表挨拶 兜森 煌介 さん
在学生からの歓迎の言葉 小番 涼音 さん
決意新たに「初心忘れることなく」
大学院入学生 研究のさらなる深化!!
受付での様子
JA全農秋田から「サキホコレ」が贈呈されました
竿燈会が新入生歓迎の演技を披露(秋田キャンパス)
先輩による学生自主研究発表(本荘キャンパス)
学長式辞全文
秋田県立大学に入学された皆さん、そして大学院へ進学・入学された皆さん、おめでとうございます。本年度、システム科学技術学部に252名、生物資源科学部に175名、大学院システム科学技術研究科に57名、生物資源科学研究科に33名が入学し、4名が博士後期課程に進学しました。秋田県立大学の教職員を代表して、皆さんの入学・進学を心から歓迎致します。また、ご家族はじめご関係の皆さまにも、心からお祝いを申し上げます。
秋田県立大学は、20世紀末の1999年に創立され、今年で開学26年目を迎えました。本学は、21世紀を切り開いていく人材を育成するとともに、先端的な研究や技術開発を行い、秋田県、日本そして世界の持続的発展に貢献することを目指しています。これまでに本学を卒業した卒業生総数は9500名を超えましたが、卒業生は皆、本学での学びを活かし、現在さまざまな分野で活躍しています。皆さんも是非、これら卒業生に続き、しっかりと本学で学び、社会に羽ばたいていってほしいと思っています。
この26年の間に、日本も世界も大きく変わりました。1979年に、アメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン アズ ナンバーワン ―アメリカへの教訓―』という本を出しました。その出版に続く1980年代、1990年代には日本企業はまさに世界をリードしていました。また、1990年代、日本人の研究も世界のトップレベルにあり、その結果、21世紀に入って多くの日本人研究者がノーベル賞を受賞しました。しかし、今、日本企業はその地位をグーグル、アップル、アマゾン、テスラといったアメリカ発の新たな企業に取って代わられています。また、研究においても、その質・量において中国に抜かれ、そして最近では多数の国の後塵を拝するようになりました。このように、日本の地位は低下の一途を辿っています。
世界の動きを見てみますと、この26年間、世界では情報通信技術/ICT(Information and Communication Technology)の進歩が顕著です。インターネットが行き渡り、世界の隅々の人々がネットを通して繋がるようになりました。実際、アフリカの小さな村でもインターネットで世界の情報を知ることができます。このネット世界の拡張により世界のあり方が大きく変わっています。その結果、世界とつながらなくては、ビジネスも研究もできなくなりました。また、人に求められる知識とその使い方にも大きな変化が起きています。これまで知識は個人の所有物で、その知識量が多いことが個人の能力の高さと考えられてきましたが、誰でもがコンピューターから簡単に知識を引き出せる世の中になると、知識量ではなく、知識の使い方こそがその人の能力となります。皆さんが突破してきた入試では、正確な知識と解答に向けての最短の知識の組み立てが求められますが、これはコンピューターでできてしまうのです。最近では、CHAT GPT の進歩が著しく、AIは人の知能に迫ろうとしています。知識の組み立て方もコンピュータが担う時代になりつつあるのです。
こうした中で、大学もそして皆さんの学びも変わらなくてはなりません。基盤となるミッションは守りつつ、新たな挑戦をしていく必要があります。そこで、秋田県立大学は、社会の改革の先導に立ち、新たな知を創成するとともに、未来を担う人材を供給するための指針、秋田県立大学ビジョン2033を、昨年、公表しました。ビジョンは教育、研究、社会貢献、経営/運営からなり、教育では、「タフで優しく、挑戦的に」、研究では、「未来の知を創成し、地域の課題解決/国際共創の中で知を鍛える」を謳っています。この激しい変動の世の中で、過去の経験の理解はもちろん必要ですが、それだけをつなぎ合わせても新しい未来を作ることはできません。皆さんには、大学において、誰も見たことのない知の創出に挑戦し、新しい未来を創る礎を築いていただきたいのです。ピンチは若い皆さんにはチャンスです。新入生の皆さんは、世界を変える主役だと思っています。
さて、皆さんが挑戦することになる、新しい知はどのように生みだせばよいのでしょうか。ここでは、2人の日本人ノーベル賞受賞者がどのように未知の知を生み出したのかを紹介しますので、大学での知の探求の参考にしてほしいと思います。特に、挑戦性とタフであることの重要性を感じていただければと思います。ノーベル賞は、スウェーデンの発明家アルフレッド・ノーベルの遺言により、人類の福祉に最も具体的に貢献した人びとに授与するため設けられた世界的な賞です。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済の6部門があり、毎年1人、ないし1領域3人までが受賞しています。新聞などが受賞者を予想するのですが、ほとんど当たりません。候補者が多すぎるのです。韓国ではこれまで受賞者がありませんし、中華人民共和国でもわずか3人です。このように受賞するのがとても難しい賞です。日本では、これまでに29人の日本人あるいは日本出身の人がノーベル賞を受賞していますが、この2年はいません。日本人は21世紀に入って受賞者が急増しましたが、それは今の研究力ではなく、20年近くも遡る時代の研究力の反映です。
まずは、小柴昌俊先生について話してみたいと思います。小柴先生は、1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて、「宇宙に満ちあふれるけれど、見えず触れもせず、私たちの体を常にどんどんすり抜けていく不思議な素粒子」、「幽霊粒子」とも呼ばれていた、ニュートリノの観測に成功しました。この功績で、2002年にノーベル物理学賞を受賞しました。小柴先生はさぞかし優秀で、研究も緻密に設計された計画のもとで行われていると考えられるのですが、事実はまったく違っていました。
本人は、「変人学者」「東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれ」と称し、実際に大学での成績は惨憺たるものだったようです。それでも、小柴先生は「現場主義の研究者」としての誇りを持って、現場にこだわり続けました。小柴先生の力を見せつけたのは、岐阜県の神岡鉱山の地下1000mに観測装置「カミオカンデ」(神岡核子崩壊実験)を建設したことでした。この中に3000トンの超純水を蓄えたタンクと、その壁面にこれまでにない大きさの光電子増倍管1000本を設置したのです。この世界最大規模の施設の構想とその建設には、多数の人の賛同と新たな技術開発、さらには多額の資金の調達などが必要でした。研究室に閉じこもっている研究者にはできない芸当です。まさに「現場主義の研究者」の面目躍如です。しかも、当初の目的であった陽子の崩壊の観測に失敗したため、すぐに対象を宇宙に求め、たまたま起こった、16万光年彼方の大マゼラン星雲での超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを世界で初めて検出したのです。運が良かったという人もいますが、優れた装置を世界に先駆けて作り出していたこと、また、さまざまな研究者と議論しながら、宇宙ニュートリノについての知識とカミオカンデが宇宙ニュートリノを捉える可能性について十分に検討していたからこそ、偶然のチャンスを物にしたのです。小柴先生の信念と、企画力、グループを束ねる人間力、行動力が抜群で、しかも柔軟な思考を持っていたことが新発見をもたらしたのです。これにより、光や電磁波ではなく、ニュートリノによって宇宙の現象を研究する「ニュートリノ天文学」へとつながったのです。さらに、この研究は、小柴チームの梶田隆章先生らによる、ニュートリノには質量があるとの大発見をもたらし、第二のノーベル賞が生まれます。
第二は、私が勝手に年上の友人と思っている大隅良典先生の研究についてです。いつもの呼び方に従って、大隅さんと呼ばせていただきますが、大隅さんは、2016年に「オートファジー(細胞の自食作用)の仕組みの解明」の研究で、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞しました。ノーベル賞では、単独というのは非常に珍しく、それだけこの研究の独自性が高かったことを意味します。一般に、ノーベル生理学・医学賞の受賞者は、多数の研究者を要する非常に大きなグループの長で、多様な先端機器も所持していることが多いのですが、大隅さんの研究は本当に普通の小さい研究室の、そして、大隅さん個人の身の丈に合ったアイデアから生まれました。このような言い方は不遜かもしれませんが、大隅さんのノーベル賞受賞を見て、私たち普通の研究者でもノーベル賞のチャンスがあると思わせてくれました。ですので、今入学してきた皆さんにも大いにノーベル賞受賞のチャンスがあるということになります。
大隅さんが、初めて自分の研究室を持ったのは、東京大学の教養学部の助教授になった43歳の時です。そこで、それまで温めていた新しい研究を始めます。材料として用いたのが酵母。酵母は植物と同じようにいろいろな不要物を液胞という細胞内の袋の中で分解してリサイクルするのですが、大隅さんはそのリサイクル(これをオートファジー、あるいは自食作用と言います)の仕組みを知りたいと考えました。この過程は2つに分けられます。まず、細胞内の不用物を液胞に取り込む、次にこれを酵素の働きで分解する。この2つの過程は素早く起こるので目で見ることはできません。そこで、薬剤を使って分解酵素の働きを止めました。すると、顕微鏡の下で不用物が溜まるのを見ることができました。そこで、この不要物の溜まり方がおかしい突然変異体を顕微鏡で探したのです。そして、たくさんの変異体を見つけました。さらに、その原因となる遺伝子も見つけました。
しかし、研究の初期には、新しく見つけたどの遺伝子もその働きがわからず、周りからは、顕微鏡で見ているだけで、なにも本質的なことのわからない研究だ、などと批判され、本人も意気消沈していたのです。働きが新しすぎて、これまでの遺伝子からは予想がつかなかったのです。それが、ある時一つの遺伝子の機能がわかることにより、オセロのように一気に石が裏返ります。それぞれの遺伝子の作るタンパク質が、分解対象につけるタグ、タグを不用物へ結合させる酵素、さらにはタグのついた不用物を識別するタンパク質などと説明がつき、見たことのない美しい分解のカスケードが現れたのです。さらには、このオートファジーが人の病気にも関連していることを見つけて、その大切さを世界に示したのでした。その後、この分野は世界中の研究者が参入して、爆発的に研究が進み、生物の営みに欠くことのできない重要なプロセスであることがわかってきました。
この研究の成功の陰には、大隅さんの粘り強い研究の継続、言い換えると、世間の批判を気にせずに邁進したタフさがありました。また、大隅さんの果敢な挑戦、酵母だけに限定せず植物や哺乳類にも研究対象を広げたこと、色々な分野の研究者と連携したことなど、があったのです。大隅さんが研究室を主催したのが1988年、オートファジーのシステムを報告したのが1998年。10年の歳月が流れていました。そしてノーベル賞受賞が2016年。初めの構想から28年、最初のシステムを報告した時から18年が経っていました。余談ですが、2015年に私が主催した会議で大隅さんは、政府の基礎科学への研究支援が少ないと強く批判していたので、それならノーベル賞でも取って、ノーベル賞学者として政府に提言したらいいのではないかと、冗談を言いました。すると、本当にその翌年ノーベル賞を取ってしまい、政府に提言するだけでなく、ノーベル賞の賞金も使って大隅基礎科学創生財団を立ち上げ、基礎科学の振興に尽力しています。大隅さんには頭が上がりません。
皆さんは、新しい生活や学びに胸膨らませて、大学に入ってきていることと思います。未来を作るのは皆さんです。ノーベル賞学者にも、ベンチャー企業の創始者にも、何にでもなれる可能性があります。是非、大学では色々なことに挑戦して、自らを磨いてください。私たち教職員は全力で皆さんを支えます。皆さんが、未来の秋田県、未来の日本、さらには未来の地球を創造するプロフェッショナルとなるべく、本学で学び、かつ充実した生活を送ることができることを願い、学長の式辞とします。
学長 福田 裕穂