高橋秀晴副学長が「第58回県多喜二祭」で講演しました

 

 2月24日(日)、秋田県生涯学習センターで、大館市生まれのプロレタリア作家・小林多喜二(1903-33年)をしのぶ「第58回県多喜二祭」が開催され、本学の高橋 秀晴 副学長[専門:日本近代文学]が、『多喜二のように生きなきゃだめだ―松田解子が受け継いだもの』と題して講演しました。

 「県多喜二祭」は、小林多喜二の生涯と文学を学び、その志を広めることを目的に開催され、今年で58回目の開催となります。日本近代文学者である高橋副学長は、小林多喜二と大仙市協和出身の作家である松田解子(1905-2004年)の作品に触れながら、それらの現代的意義や女性の描き方、方言などを手掛かりに、松田解子の小林多喜二を受容する特質に迫りました。

高橋 秀晴 副学長[専門:日本近代文学]

高橋副学長のコメント

 日本プロレタリア文学 は「1920年前後から30年代前半にかけて資本主義社会の矛盾の深まりにともない展開された労働者階級の戦いを反映した文学動向」(『社会文学事典』、冬至書房、2007年)と定義づけられます。その嚆矢とされるのが1921年2月に秋田市土崎で創刊された雑誌『種蒔く人』、頂点に位置するのが大館生まれの小林多喜二、そして、殿(しんがり)を務めたのが大仙市出身の松田解子でした。つまり、日本のプロレタリア文学は、秋田に始まり、ピークを成し、幕を下ろしたと言えるのです。
 講演では、今年没後20周年を迎える解子が多喜二から受け継いだ生き方と書き方について検証しました。その結果、多喜二の影響によって解子の文学が形成されたこと、同時にそれができたのは解子の資質によること、が明らかになりました。他方、この二人が目指した格差・差別や争いのない社会は正にSDGsと方向を一にしています。戦火が絶えず、地球が悲鳴を上げ始めた今こそ、多喜二と解子の人と文学に学ぶべきことがあるに違いありません。そういう想いを、本学関係者を含む180人の方々と共有した午後の一時でした。