読-書-偏-歴
2014
2014.10~12 | ||
Françoise Sagan「優しい関係」 Roald Dahl「キス・キス」 麻耶雄嵩「貴族探偵」 西尾維新「続・終物語」 |
ようやく終わったか(たぶん、いや信用ならない)。 今年を振り返ってみると(これを書いてるのはもう2015年なのだが・・・)、思うように本を読めなかったなあ、と。あああ・・・(大量のストックを前に頭を抱えるの図)。 原因はおそらく在庫、じゃなくて、時間管理の悪さ(おそらくも何も、物事の原因のほとんどはこれじゃないかしらん)。在庫を減らすという発想はないのね。だって、何のための在庫かって話じゃん(何のためだろう・・・)。 時間管理ができないのは「XXXとして」致命的ですな(好きに言葉を入れてく)。社会人として(大学人は社会人か)、教員として(反面)、科学者として(実験のときだけ)、棋士として(切れ負けです)、男として(「男の時間管理」「男でもできる時間管理」「男時間の管理術」「漢の時間管理道」とか、意味ちがわなくない?)、シティーボーイとして(死語か?都会は電車の本数多いから大丈夫)、飼い主として(散歩に行かなきゃ)、怪人として(20面相は予告時間ピッタリ)、オタクとして(色々激しく同意)。はい、読書と関係ないです。読書人として?まさかね。全国時間管理評議会のひと、ごめんなさい。 でもでもきっちりとした時間管理の元で読書なんかして、楽しいか?(>人による) あ、間違えた。時間管理なんかの元で読書して、だ。すまぬ。 読書は時間への反逆ではなかったか?(>今つくった) それはそれとして。来年(もう今年だけど)は時間管理をしっかりして読書に臨む所存です(仕事しろ)。 電車通勤にして、車中で読書すれば、毎日スリリングだろうなあ(乗り越さないかどうかで)。と考えている時点で時間管理と無縁そうだ・・・。 | |
2014.9 | ||
西澤保彦「狂う」 西澤保彦「モラトリアム・シアター」 西尾維新「非業伝」 |
読書の秋っ!ひゃっほう!と叫びながら読書している、訳はない(そんなキャラじゃないですよ。書いてみただけです。)。 習慣というものはシチュエーション込みなので、趣味や道楽の継続には、当然、その環境づくりも大切な要素である。 親が口うるさいから勉強する気になれない、とか、猫がお産で気が気でない、とか、今日は星の巡りが悪いの、とか、俺はまだ本気出してないだけ、とかいう経験は誰しもお持ちではないだろうか(所詮言い訳なのに大仰だな)。 自分の読書の場合、カフェに行くこととセット、だったりするわけで(> a-ha)。つまり直接は関係ないが、それをするために必要なアイテム(音楽とかお茶とかお菓子とか炬燵とか)ってあるでしょ。関係ないんだけど、やっぱりこれが無いとね、的な(デートスポットのイルミネーションとかさ)。 このように考えてみると(みてください)、読書の習慣をつけるのも、そんなに難しいことではない。カフェに入ってコーヒーを前に座ると読書モードに突入する、という習慣をつければよいのである。あとは本を持ってカフェに行けば、自然と・・・。傍から見ると、カフェに行く習慣、にしか見えないのが難点ではあるが(違うのよ、いや違わないけど)。 | |
2014.8 | ||
法条遥「リビジョン」 北村薫, 宮部みゆき 編「教えたくなる名短篇」 山本弘「MM9」 |
しかしッ!キング・クリムゾン!ではなくって、更新が一ヶ月遅れになっただけです。申し訳ない、という程、誰も読んでないだろうけど・・・。 ア@@イトってあるじゃないですか(酸化アルミじゃないよ)。@ニ@イ@にどんな利用価値があるかというと、ある主の、いやマスターじゃない、ある種の分野の本であれば纏まって置いてあるので、探す手間が省けて便利なのです。その分、濃い空気を醸し出している気がするが気のせいだろう(濃い空気を吐いているマニアのせい)。そう、本を買うのに本屋に行けばよいってもんじゃない。ものによってはヘタな本屋よりも品揃えのよい店があるからね〜。キャラグッズを求めるついでに行くのではないよ、と言っても誰からも相手にされないだろうが、いつものことなので気にしない。 とはいえ店に入ると、まず、豈女中無からんや、などと駄洒落を言ったりはしないで、書店と同じように巡って廻るキャラグッズ。世の中の動向を知るのに大変参考になる。ほほう、最近はこんなものが、自分の若い頃は無かったなあ、えっ、あんなものまで、いい時代になったいやいや誰が買うのだこんなもの(>自分が買わずに誰が買う!と思っている人)、へえ、ご当地XXなんてあるんだ、お土産に買って行ったら寒いかな(実家は北海道だから)とか、ついでにその手のCDも冷やかした後に書棚を漁る。漫画でも小説でもすぐ見つかるから一撃離脱でレジに行けるのがよいところ。なぜ@@メイトに来てまで本を買うのかなど一瞬も疑問に思うことなく帰路につく。さすがプロフェッショナル(店が)。 | |
2014.6 | ||
野尻抱介「魔法使いとランデヴー」 浜尾四郎「浜尾四郎集」 |
趣味の領域、ここの場合は読む本のジャンルや作家を広げて行く姿勢は、人生において大事かもしれない。し、そうでないかもしれない。単に自分が飽き性なだけかも。浮気性、ではない、と思いたいが。「浮気症」だと思っている人も結構いるかも。 「広げる」ったって大した範囲ではないが、これまであちこち手を出したお陰で、もう一生退屈しないだろうなあ、という状態になり、これはこれで幸せかも。たかが読書で幸せな人ですね。 ただ広げ過ぎて手が回らなくなる、ということはあるから、何ごとも程々にしておいたほうがよい。子供のころはジャンルの範囲も狭くお金も無く、時間だけはあり、そのぶん新刊が待ち遠しくて、発売になったら即本屋に走ったものだが・・・、こうして考えると、そのころの読書生活も幸せだったなあとつくづく思う。それが今では、え、もう次が出たの、今忙しいから(とは言いたくないが)また今度、みたいなアリサマ。(本を買う)お金に不自由しなくなったとたんにコレかよ、大人って・・・的な。えっと、これはこれで充分幸せですので、誤解のなきよう。 だけれども、特に子供のころの「待ち遠しさ」も、持ち続けていたほうがよいような気がする。理由はない(そのほうが楽しいかなあ、って)。範囲も、もう少し絞ったほうがよいのも確か。できれば読書以外の時間を絞りたいものだが・・・。 | |
2014.5 | ||
法条遥「リライト」 西澤保彦「腕貫探偵、残業中」 野尻抱介「私と月につきあって」 |
・・・ついに駄洒落か(嫌いではない)。 「本を読みたい」と「本屋に行きたい」という欲求は別のものである(応用が広そうだな、これ)。何でか知らないけど、そうなので。 ああ、行きたい・・・(忙しいんだよね、最近)。ネット書店では満たされない何かがそこにはある。 試しに妄想してみる(>行けよ)。 本屋の独特の匂い、新刊コーナーの平積みの山、いくつか興味の無い棚を冷やかす、狭い通路で人とすれちがう時の微妙な態度と雰囲気、整然と並んだ背表紙の列、同じ趣味のジャンルを見てる人の目つきが気になる、人のことは言えない。 棚から手に取った本の手触り、なるべく手の油を付けないように、表紙と裏表紙、目次だけ目を通す(それ以上はダメよ)、内容をイメージする(妄想の中で妄想)。 レジまで持って行くときの緊張感、自然体自然体、客が並んでいる、待ち時間が気まずい、行列と言う概念、レジのお姉さん(お兄さんでも)に本を手渡す、文庫本のカバーは要らない、代金を払う(釣りは要る)。店を出たあとの達成感と脱力感、はあ・・・。 怪しいなあ、おい。 あ、妄想したお陰で気付いてしまった(色々と)。こ、これで本屋に行ったらどうなるか・・・。 | |
2014.4 | ||
谷崎潤一郎「刺青・秘密」 西尾維新「終物語」 |
・・・終わってないし。 自分にとって読書は道楽であって、勉強とか人格の形成とか、視野を広げるためのものではない、とは以前から書いているところだけれど、まあもちろん、何かしら得るものがある(と思っている)から読んでいるのである。ただそれを、何か限定的な目的のためとしてしまうと、うまくない。 結論からいうと、読書を楽しめるという状態それ自体が、よい人生の一部をなしているのであって(ああ幸せっ)、その状態をいかにして作り出すか、がキモではあるまいか(キモい、のキモじゃないよ。若い人には念のため)。 その楽しむという中には、今読んでいる本が面白いことは確かだけれども、何が面白いのかが「よくわからない」というものも含まれていて、そこが肝要なのである。そしてその「よくわからないこと」を探っているとさらに別の「わからないこと」に当たったりして「しあわせが加速する」。・・・書いてて何だかよくわかりませんね。しわ寄せが加速する、のほうが生活実感がありますね(すいません・・・)。 よく「面白い」という発言に対して、「面白いだけじゃダメだ」という人は、何か考え違いをしているような気がする(文脈によるけどさ)。「面白い」という時には、そこには「面白いだけじゃない」ことも含まれているはずなのではないかな。女の子が生まれたら「はずな」と名付けよう(面白くないぞ)。 それが何かはわからないけれど(無責任)、明確に「面白い」(とわかる)ことだけしか無かったら、そもそも面白くないからね。ますます何だかわかりませんが、これは研究者目線というやつかも。 | |
2014.2/3 | ||
野尻抱介「天使は結果オーライ」 Jussi Adler-Olsen「特捜部Q-キジ殺し-」 Pierre Henri Cami 「機械探偵クリク・ロボット」 Connie Willis「混沌ホテル」 |
気がつくと春ですね。先々月からなかなか読めなかった・・・もうしわけない(自分に)。今に見てろ(誰に?)。 電子書籍はほとんど読んだ事がないが、最近ネットサーフィンにiPadを使っているので、これは便利かも、と思う。何が便利かって、特に食事中に読むのに(イマサラ感が拭えないが)。 指先ひとぉつでページを捲れるし、画面にソースや麺つゆやカレーやコーヒーが跳んでも拭けばきれいになるし。そろそろ本気で導入を考えるかなあ、と思わなくもない。 ただ電子書籍は紙媒体の本を所有するのとは違って読むためのライセンスを買うので、「所有」したい本は今まで通りに買うでしょうけど・・・。電子書籍だと本の重さや手触りや、紙の匂いとかを感じられないからね、って、いったい何のために読んでいるのやら。 「コンテンツ」ということでは電子媒体が断然有利だから、いずれは全てそれに移行し、紙媒体の本を所有することが特権的なことになる、かも。 図書館もネットになれば便利だけれど、まだ問題が山積かな。これまでの図書館と同様に無料で利用できるかとか、、、。サイバーSF小説で「ネット図書館戦争」を書いたら面白そうだ(すでにありそう)。 | |
2014.1 | ||
京極夏彦「冥談」 西澤保彦「腕貫探偵」 三上延「ビブリア古書堂の事件手帖5」 |
読書する暇もないほど忙しい(去年も書いたか)、という言い訳はあまり言いたくない。 そんなこと言うくらいなら止めたら(辞めたら)、とか、忙しいくらいで読めないなら大して読みたくもないんじゃないの、とか、思うし。言い訳するヒマはあるのね、 とか。 ・・・あれですよ、自分に対してであって、他人にそんな言葉は吐きませんよ(そんな非道な)。 外に向けては言わないものの、心の中ではよく言うのである。言い訳というより(言い訳だけど)、これは自分や本に謝ってるのである。 ごめん、必ず読むから、もう少しまってて、埋め合わせはするから、と。それにしても、積んである未読書に後ろめたさを感じるのは判るが(判るか?)、自分に謝るのはどうして?謎だ。 何だか大事な事をオロソカにした感があるので。例えて言えばお腹を空かせた子供を待たせてるみたいな?誰が待ってるんだか・・・はて。 でも1人で読んでいても、読んであげてる、って気、しません?(自分で言ってて意味が分からないけど・・・)。霊感があるとか、そういう話じゃないです、念のため。 まあでも、食事したり寝たり、仕事したりするヒマがあるんなら、大概のヒマは作れんじゃないの、と思うから、その瞬間瞬間の優先順位の問題に過ぎないけどね・・・。 |