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読書偏歴
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読-書-偏-歴
2010



2010.12
西尾維新「猫物語(白)」
Villiers de l'Isle-Adam「未来のイブ」
京極夏彦「南極(廉)」
都筑道夫「退職刑事3」
家庭環境と読書の習慣。
両親は(自分よりも)読書する人なのだが、それで読書の習慣がついたかというと、まあ、関係ない。兄弟でも差があるし、親も特に勧めてはこなかったと思う。
自宅でも学校でも、すぐ本を手に取れる環境だったのは、当たり前のようでいて、たぶん幸いだったのだろう。しかし読書するようになったきっかけはというと・・・過去に読んだどれかの本のときに感動した、面白かった、という(これも幸運な)原体験がありそうなものだが、憶えていない。そうねえ・・・全ての原点、というものは無さそうに思える。読書といっても本によって楽しみ方が異なるわけで、ひと括りで考えたことはないかも。強いて言えばジャンル別の原体験はある。
兄弟が多かったので、子供のころは自宅に個室が無い状態で育った(そういえば、今も無いな・・・)。他人に説明するのは難しいのだが、その辺は、喫茶店などに出かけて読書したがる傾向と関係がある、と自分では思う。家から出て1人になりたがる、というのではなく、周囲に人がいるところで読みたい、というのとも違う。説明難しいなあ・・・。
2010.11
Minette Walters「氷の家」
小林泰三「天体の回転について」
中井英夫「人外境通信」
谷崎潤一郎「春琴抄」
読書することについて、他の人から誤解されがちなこと。
週に1冊程度しか読まない自分でも、あの人はよく本を読む、と認識される(ことがある)。どこからが「よく」なのか曖昧ですけど・・・(本を読まない人って、そうそういないわけで)。それに関する会話のなかで、そうじゃないんだけどなあ、と思ったことについて。何が誤解なのかも曖昧ですけど・・・。
一応、書いておきますが、別に怒っているのではありません(そこも、誤解する人がいるので)。そう考えるのか〜、面白いなあ〜、と。

「高尚ですね」:本の内容によるでしょ。そう言われると後ろめたい。
「漢字を沢山知っていそう」:読めるけど、書けない、みたいな(ありきたり)。
「活字中毒」:禁断症状が出るとか、無いし。禁断の症状、と書くと喜ぶ人がいそうだ。
「本をプレゼントされると喜ぶ」:子供のころは喜んだが、今は、できれば避けたい事態。お構いなく・・・。
「理系なのに」:悪い?
「本を読まない人は嫌いですか」:そんなわけはない。関係ない。
「自宅は本ばっかり、ていうか、本しかない」:そんなわけない。
「本の重みで自宅の床が傾きませんか」:まだ大丈夫。
「漫画は読まないんですか!?」:読むよ。どういう意味?
「そんなに読んでいて、よく飽きないですよね」:飽きたら次の本を読めば。
「ブログに読書の感想を書くんですか」:書かなきゃダメ?
「昨日は何を読んだの?」:言わなきゃダメ?
一緒に歩いていて、本屋のそばを通ると「ほらほら」と指差す人:別に本屋フェチじゃないから(ちょっと嘘かも)
2010.10
Meg Cabot「The Mediator, Reunion」
冲方丁「黒い季節」
米澤穂信「遠まわりする雛」
森博嗣「Truck and Troll」
本のコスト。
幸せなことに、最近は殆ど気にしたことが無いけれど、子供のころは限られた小遣いのなかで切実な問題だった。購入の年間計画を立てたりして(凄いな、自分)。長いシリーズものは特に悩ましく、 1年かけても全部買えないので(他に読みたいものもあるし)、そういうものは地道にコツコツと揃えるしかない。大人になったら好きなだけ買ってやる、と思いつつ。
で、現在は、というと、高価な本に移行した訳ではなく、以前に比べて本の価格もそれほど上がっていない(2倍にもなってないような気がする)ので、無軌道な割には出費は少ない。コツコツ揃えるのが身についてしまったし・・・(それは無軌道じゃなく、貧乏性)。もちろん、読む時間が限られているのが本質的な理由。時間が無いのも、ある意味、貧乏ってことですが。
小説など道楽で読む本と比べて、学術書の購入金額のほうが、たぶんトータルでは上だ(1冊が高いから)。学術書も、他人の目には道楽に映るかもしれないけれど。衣料品のほうがコストは上。食費は、上かな。交通費は微妙。携帯電話は、当然、下です。う〜ん、書いているうちに、もっと本に浪費しても良いような気がしてきた。必要もないのに買ってしまう書籍よりも、必要にならないと買わない衣服のほうが(コストが)高いとは、なんだか腑に落ちない・・・(え、考え方が変ですか?)。
2010.9
久生十蘭「久生十蘭ジュラネスク」
伊藤計劃「虐殺器官」
小林泰三「人造救世主」
Sarah Waters「半身」
急に涼しくなった。今年の気温は変だ。
少し前から「〜力」という造語が流行っているような気がする(適当)。胡散臭く感じるので、基本的に「〜力」は好きではない。あ、でも「消臭力」は良いね(>何故?)。造語だから、最初は意味が不明瞭な訳で、定義は徐々についてくる。けれども、実際に定着するものもそんなには無いよね(適当)。
という訳で(どういう訳だ)、「読書力」について。
ふ〜む、「読解力」ではないのか?>それだと書に限らないから・・・。会話や作文が上手くなったりはしないので(自分はね)、言語能力ほど広い意味ではない。ネットでざっと検索したら、おおまかには、読書により人間形成や自己実現に役立てることができるとか、教養を身につける力(の一部)、と考えられているのかな、と思う。いずれにしても、ある程度の量を読むことが前提のようですが、どんな本を読む(べき)か、どのように読む(べき)か、の議論が多いみたい(適当に書いてますよ)。前にも書いたかも、だけれど、自分では読書によって成長したという気がしない(本の選択が悪い、と言われそうだな)。成長や人間形成は総合的なもので、読書ばかりしてもね・・・。
健康のため、読み過ぎには注意しましょう。
えっと、茶化しているだけですので、気にしないでください(誰に言っているのか)。もちろん人それぞれですし、「読書力」を提案している人は、そのキーワードでもって、読書の有用性を説いているのだと思います。ためになると思う人は読書するとよいですが、自分の動機は、単に楽しみのため。
(いきなりですが)「読解力」よりも「解読力」を身につけたい、と思いませんか。思いませんか、そうですか。
自分にとっての読書って、一言で書くと「習慣」。「読書週間」と聞くと自分には無縁な言葉だ、と思う(洒落ではなくて)。
2010.8
木本雅彦「星の舞台から見てる」
米澤穂信「インシテミル」
西尾維新「猫物語(黒)」
森博嗣「小説家という職業」
今年の夏は暑かった(9月になってもまだ暑い)。本を読む気になれないくらい。巷では「〜ほど暑い」「〜くらい暑い」の新比喩が頻出したとか(知らないけど)。唐突に「赤いライオン」という短編を思い出す。
読み返しについて(蛇足篇)。(まだ引っ張るか・・・)。 その本を読んでいる最中に(初読)、遡って前の頁を読み返す、というケース。
登場人物のこの人だれだったか、的な、固有名詞を忘れてしまったりするのは、外国の名前で多い。登場人物表があるのも頷ける(>本気で言ってないですよ)。漢字の振り仮名は、一度しか出てこないことがあるから、読みを忘れた時は・・・(小学生か)。 1冊を断続的に読んでいるとき、前回の粗筋を確認することはある(数冊にまたがるシリーズでも)。お気に入り、あるいはクライマックスシーンをリプレイするかどうか、は意見が分かれそう。
ミステリィは、解決編の前に、謎の手がかりを求めて舐めるように読み返す、とか、マニアだけでしょうか。地図や館の図面が付いているのは、これを参照しながら読め、という意味だし(そうか?)。
読み返すくらいなら、もっとゆっくり読んだら、というのはもっともな意見。最後まで読まないうちに読み返したり、あちこち飛ぶことはよくあるのですが、自分に落ち着きがないから、かしら。性格だからなあ・・・。 付箋を貼りながら読めばよさそうですが、それをしたことはありません。まあ、瑣末事です、はい。
2010.7
中井英夫「悪夢の骨牌」
米澤穂信「ボトルネック」
大塚英志「大学論」
Patricia Cornwell「証拠死体」
石川雅之「もやしもん vol. 9」
読み返しについて。
以前に読んだことを忘れてしまい、同じ本をまた購入する、ということは未だなかったはずですが(確率は徐々に高まっている・・・)、同じ本を何度も読み返すというのは、どういうことか、と(別に〜好きなだけ読み返せば良いじゃん、コストパフォーマンスも上がるし、といわれて御仕舞いな気がします)。
記憶力が良い人は1回読んで覚えてしまうらしい。一字一句丸暗記と、内容の理解とはまた別にしても、そのほうが効率が良い気がしますよね〜(>適当)。その1回にかける時間にもよるし、何の効率かにもよるけれど。引用する場合なんかは、覚えていても確認する必要がある。
まず、読み返したい、と思うのは、その本が面白かったからで、内容を覚えていない本は面白くなかった訳だから、忘れた事を気にする必要はない(忘れた事も忘れている)
他人に聞いた事がないので、自分の読み返しの場合。その本の好きな部分は何度も繰り返し読んで、覚えてしまってもまた読む(歌や詩を口ずさむ、みたいな)。あるいは、内容について1回では理解が及ばず(でも面白いと感じて)、何度も読んで把握していく。あるいは、そのときの感動をもう一度、という欲求からまた手に取る(初読後感は2度と無理だけど)。同じ本を何度も楽しめるというのは、理解できない部分が残されているからでしょうね・・・。暗記していれば実際に手に取って読まなくてもよいか?目で文字を読むという行為が伴わないといけない?映像記憶型の人はどうなの?とかとか、色々ありますけど。
いつもの2倍くらいまとまりがないな・・・。
2010.6
西澤保彦「フェザータッチ・オペレーション」
都筑道夫「退職刑事2」
Pat McGerr「探偵を捜せ!」
Meg Cabot「The Mediator, Nineth key」
「探偵を〜」の原題は "Catch Me If You Can" で、つまり、そういう内容と思って読むとよい。探偵は誰かはどうでもよくて(>個人的感想です、感想・・・面白かったです。)
梅雨は、本が湿気るから、嫌い。捲る頁が重くなるし、何となく、はかどらない(脳も湿気っているせいじゃない?)。北海道は(出身地ね)梅雨が無かったからなぁ・・・本に黴が生えないか心配だ。
えっと、言ってみただけですよ。そんなことわ気にしていません(風呂で読書する人はどんな感じか、ちょっと気になるが)
たまに(しょっちゅう?)書店で行われている「フェア」で、本を買う人って、どのくらいいますか?ちなみに、自分は全然関係ない派(好きな作家は関係あるけど>思う壷です)。要は販促だから、宣伝効果によって販売数が上がるのだろうけれど(ふと手に取る人も意外に多かったりして)、文豪の生誕何周年フェアとか映画化記念フェアとかベタなものから、どう見ても誰かの(店員の)趣味的なフェアとか、自分の趣味的なフェアとか(だから、思う壷だって)、色々あるわけで(それがどうした)。有名な文学作品などは、たまに(定期的に?)フェアがあると、あ、これ読んでなかった、とか気づいて買ったりすることもあるから、つまり、やっぱり関係あるか(書店に足を運ぶ人は、どうしたって)。学術書のフェアは無いだろうなぁ・・・有機化学フェアとか、分子生物学フェアとか。辞書フェアは、ある?(「英和中辞典」って(大中小の中ね)、堅実派って感じが良いよね>そういうフェアじゃないと思う)まあ、何にしても、どこかでやっていても不思議ではない。
推理小説のフェアプレイとは、推理の見本市的プレイ、じゃないので、勘違いしないように(>しないって)
2010.5
Patricia Cornwell「検屍官」
小林泰三「臓物大展覧会」
平山夢明「ミサイルマン」
森博嗣「DOG&DOLL」
今月は、まだ読んでなかったのかと言われそうな(>誰にさ?)コーンウェル。良いですね。平山夢明は以前から読んでいて「メルキオールの惨劇」とか好きなのですが、特にスプラッタ的なものが好みなのではない。
ホラーや怪談は、恐がりな性格の割には読んだり見たりするほうです。反射的あるいは本能的な恐怖というものは、年をとるに従って段々薄れてきたけれど(鈍くなったとも云う)、世の中に怖いものはまだまだあるものだ、と思う今日この頃(楽観的、というのか)。最近の筆頭は京極夏彦かな・・・「嗤う伊右衛門」なんか、無茶苦茶怖かったですよ、はい。
突然ですが、怪談を読むと、急に正座したくなりませんか?
小学生の頃に読んで、怖くて印象に残っていた怪談は「西瓜」と「のど斬り農場」。大人になってから、作者はそれぞれ岡村綺堂と J. D. Beresford であるのを知って、読み返したけれど、やはり怖かった。「西瓜」ってタイトルからして怖いです。しかし、何故、岡村綺堂なぞ読んだのかは不明。小学生低学年だったはずですが。
そう、怖いと云えば、「日本昔話」。大人になってからでも怖いと思うのですが。いわゆる「怪談・KWAIDAN」もそう。何故でしょうか。トラウマか?(たぶん違う)
2010.4
Greg Egan「宇宙消失」
森博嗣「創るセンス 工作の思考」
Ross Macdonald「さむけ」
中井英夫「幻想博物館」
同好の士。
たまに訊かれるのですが、読書の好きな人どうしは話が合うでしょう、という水向け。そういう相手もいないことはないが、基本的に関係ないと思う(自分では)。だって、例えば、自分では絶っ対読まないような本を読んでいる人って、どう思いますか?(どうも思わない?さいですか・・・)。「こいつとは理解し合えない」「そんな本を読む人だとは思わなかった」「異教徒め!」とまではならなくとも、それに関する話題は避けたほうが良さそうですよね(あえて踏み込む場合もあるが)。仮に、好きな作家が同じでも、それについて語り合うのは、ある種の危険を伴う訳で・・・。ネタばれを防ぐために、未読か既読かの確認は必須として、好きなものほど妥協しないでしょうから、議論の果てに喧嘩になる可能性も無きにしもあらず(そんな心配するな)。ファン同士の交流って、難しい面を波乱で、じゃない、孕んでいます。
ええと、半分冗談ですよ、冗談・・・。ファン倶楽部などの活動は、ファンである事は必要条件だけれども、楽しい交流が前提だと思うので。そんな、大人げない(誰に言い訳しているのか)。でも、当たり前のことを書きますが、話が合う人と読書の話をする、のが正しい順序。え、本によっては、それを読んでいるというだけで話が合うかどうかが判るって?どうかしら・・・(そういうのもあるかもね)。
2010.3
西尾維新「難民探偵」
Brian McGilloway「国境の少女」
都筑道夫「退職刑事1」
Orson Scott Card「ソングマスター」
谷崎潤一郎「細雪(下)」
今月の読書はまた脈絡の無い選択をしたものだ(いつものくせに)。コンテクストに依存しない読書が信条です、って誰かの台詞みたい・・・胡散臭い
「細雪」は上中下がひとつになった分厚い文庫(全)を買って読んだのだが、厚くて重い。表紙や挿絵にこだわりがなければ、これから買う人は分冊にしたら良いかと思います(分冊のほうはよく知らないけど>適当だな〜)。
表紙や挿絵って、程度の差はあっても読書に影響するから、あるほうがよいという人と、ないほうがよいという人がいる、たぶん。肯定的立場ではイメージの手助けになる、否定的立場ではかえって邪魔になる、と、それぞれ真逆の意見も聞いた事がある。
絵を見て読む本を決める人もいるので、挿絵や段組やフォントなども含めて装丁は重要、というのが本を作る人の認識(常識)のようだ。バージョンが1つしかなかったらそれを読むしかないけれど、いくつか選択があれば、表紙で選ぶかな。著者近影で選ぶ?そんな人いるかな・・・(いるかも)。挿絵がなくても、勝手に絵を決めて、小説のキャラクターイメージを自分でつくる人も・・・(きっといるな)。
ハードカバーのこれでなくては、という本もある。ネバーエンディング・ストーリー、とか。
大昔は(>適当だな〜)、本の中身だけ買って、装丁は各自で行って蔵書としたらしい(裕福層に限られただろうけど)。現在は誰でも簡単にできそうだが、装丁権フリーの小説とか、挿絵権フリーの絵とか、ないものでしょうか、と書くと、急に話が安っぽくなりますね。
2010.2
Stieg Larsson「ミレニアム3 下」
谷崎潤一郎「細雪(中)」
京極夏彦「前巷説百物語」
夢枕獏「黄石公の犬」
読書する時、本の内容とそのときの精神状態との関係。
無関係です、以上(間を持たせるのが苦手な人です)。有意な相関は無いと思うけど・・・議論できるほど数を読んでいないし。例えば、落ち込んでいる時には元気が出る本を読むようにしています、ということは全然ありません。むしろ、暗い気分のときはダークな内容の本を読み、気分が良いときはハッピーエンドの本を選ぶ、のが普通の発想という気がする(相乗効果を狙う?)。じゃあそうしているのか、というと、その時手元にあるものを適当に読むだけなので、ランダムです。もともと、ミステリやSFが好きだから、明るい感じの内容がそもそも少ないよね・・・ということもあるし。風邪など病気のときは、気分というより意識が茫としているので、集中力が続かないが(ショート・ショートがよい)。朦朧とした意識で幻想文学を読むのも、気分が乗って、良い感じ、かもしれない。
世間一般ではどうか知らない。色々でしょうけれど。
ちょっとブラックな質問。自殺を考えている人に薦める本、ってどういうのでしょうね・・・?
自分は、読む本があるうちは自殺しないと思う、たぶん(薄弱な根拠。でも、生きるって、そういったものかと)。
2010.1
谷崎潤一郎「細雪(上)」
Meg Cabot「The Mediator, Shadowland」
Catherine Arley「わらの女」
Stieg Larsson「ミレニアム3 上」
何のために読書するのか。
考えた事もないので(ちょっと嘘)、考えてみよう。う〜んと、自分の楽しみのため(おしまい)。というか、それ以外に理由があるのか、というと、これが世間ではあるらしい。人それぞれなので、以下、こういう例もあるというだけです。何のために読もうと、その人の自由です、と予防線を(予防線って、きっと「予防腺」とか「予防戦」と書いても気づかない人がいるだろう>いや、気づくよ。「予防洗」は一見ありそうな感じ。「予紡繊」は昔マスクに使っていた布のこと、と書いたら信じてしまう人が・・・。「予防せん!」は「殲滅せん!」みたいな(「葬らん!」のほうか?)。)。

「人との共通の話題作りのため」:そのためにTVを観る、よりは少ないと思うが。自分ではどちらもしない。
「内面の成長のため」:成長するような読書をしていない自信がある(自慢か)。
「1面的な人間にならないため」:偏った読書をしている自信が・・・。
「癒しを求めて」:いや?全然(音楽もだけど)。
「仕事だから」:評論家は、そうですね。
「勉強のため」:自分は、それは「読書」に入れない。
「読書感想文を書くため」:苦行。
「風呂やトイレで暇だから」:いや、忙しいよ。
「無人島ですることがないので」:何を持って行く?
「喫茶店で本を読む姿は様になるから」:自己陶酔。ファッションか。
「彼女(彼)が、読書をする人が好き、と言ったので」:いいのか?それで!!(良いと思う)
「そこに本があるから」:いちおう、書いておかないと。