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読書偏歴
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読-書-偏-歴
2011



2011.12
谷崎潤一郎「蓼喰う虫」
Patricia Cornwell「死体農場」
森博嗣「つぶやきのクリーム」
西尾維新「恋物語」
今年の1月に書いた予定を見ると、9割がたその通りに進行したようだ。今更ながら大した「予定」じゃなかったよね、という感じ。読むと決めているのは全体の半分以下で、その他は気まぐれが多い。実際、読んで面白かったかどうかが問題で、ノルマではないので、予定にさして意味はない、と当たり前のことを。
ここしばらく某作家の選集を読んでいるが、量が多いので、楽しんでゆっくり読んでいる。終わらないとよいなあ・・・。

好きな作家やシリーズで決め読みする本は半分くらい。その他、新規開拓本などは様々なことをきっかけにして読む。
書店ではタイトルから粗筋を見て、勘で購入する。ランキングや書評は考慮しない(とはいえ、入ってくる情報で判断するから、少しは影響があるはず)。
好きな作家が挙げている本などは割とハズレがない(思い込みかな?>幸せだね)。数は少ないが、小説内の引用文に興味をもって、引用元を読むこともある。それ以外でも、漫画や歌詞に使われている言葉や、普段の日常生活で目にする言い回しが引用だったりするので、気になって元の本を手に取ることも。普段の会話で使うくらいの引用になると、大概は古典的作品で、自分でも知らずに使っていて、後で何かの拍子に判明したりする。具体例が思いつかないが、辞書に載っているものもあるかも。
2011.11
Donald E. Westlake「空から降ってきた泥棒」
西澤保彦「収穫祭」
山口雅也「モンスターズ」
小林泰三「人造救世主 アドルフ・クローン」
特にスプラッタなものが好みなのではない、とたまに書いておかないと、誤解されなくもないかも(左の小説はどんな内容か知らない人の方が多いから大丈夫!)。スプラッタ映画とか全然見ないし。自分のツボは別なところにある。
「公序良俗に反する」ものを読むと感化されて悪影響がある、とか、本当にそう信じている人がいるかは疑問だけれど、どんな本を読むかと、犯罪的行動を取るかは別問題。そんなの当たり前だって?でも冗談の通じない人っているからね・・・。例えば、小説の注意書きに「良い子は真似しちゃ駄目だぞ」と書くのは、>99%ジョークですよね。
まあ、思想や信仰は個人の自由ですが、それを誰かに利用されないように気をつけてね(誰に言っているのか)
子供のころから、ジャンルとしては推理小説とかSFを読んでいて、特に止められたことはなかった。親も読んでいたし。乱歩とか、教育上宜しいとはとても云えないけど、好きでした(隠れて読むのが良いんだ、という意見は個人的性癖な気もするが)。もちろん、自慢できるようなことでは全然ないけれど。
自分でジャンルを選んで読んでいるのかどうか、というのは、他人への説明が楽だからそう書くが、そんなに深く考えていないと思います。 いわゆる古典ものから、昔は無かったライトノベル(これ和製英語か?)まで、特に区別なく読む(いい歳して、と思わなくもないかも)。小説だって、世の中に出てきた当初は「ライト」だと捉えられていたんじゃないかなぁ(だから「小」な訳で)、と言い訳しながら・・・(嘘)。(現在のライトノベルはもうちょっと別な意味だろう)
2011.10
Robert A. Heinlein「人形つかい」
Patricia Cornwell「真犯人」
北村薫「玻璃の天」
西尾維新「鬼物語 」
ハインラインはあまり読んでいなくて、久々です。学生のとき読んだのは「夏への扉」と「月は無慈悲な夜の女王」くらい。どちらも甚く感動したのに、他に手を出さなかったのは何故か不明。
コーンウェルは相変わらず面白い、間違いない。北村薫のシリーズ、「街の灯」を読んだのは随分と前。これも久々ですね。次作も文庫で出たことだし。

読書の秋、って、実践してるひとはどのくらいいるものかしら。自分の場合は、秋の読書、ってだけだものなぁ・・・。
読書の秋分、は普通か。読書の秋桜は絵的に綺麗、読書の秋波は・・・(好きに妄想して下さい>読書的にですよ)。
読書の秋@、も普通か、と書くと、式神を寄越されそうなので自主規制(知らない人に判らないネタを書いてはいけません)
読書の秋刀魚って、シュールだよね。和服の女性(男性でも)が七輪で秋刀魚を焼きながら読書している(あれ?普通だな)、という読書週間のポスター、作ってくれたら買います、ポスターを。モデルは@@@か@@@@で。もうありそうだけど(孟在宗竹、妄有想茸・・・すいません)
読書の秋、っていうからには、「秋時間」を導入してはどうでしょう。出勤時間を後ろにずらしてあげるのです。これで思う存分、秋の夜長を読書で満喫できるという、素晴らしい言い訳、じゃない、システム。
2011.9
冲方丁「マルドゥック・フラグメンツ」
Minette Walters「蛇の形」
柳広司「ジョーカー・ゲーム」
有川浩「別冊図書館戦争 ⅠI 」
学生のころ、ある人と一緒に(誰とだっけ・・・後輩か)、書店で読書対決、を 考えた。

お互いその場で、これは読むのが辛そうだ!と思う本を探して、それを相手に読ませる。相手が最後まで読み通したら、相手の勝ち、挫折したら自分の勝ち。
つまり、相手に「すみません、読めません!(泣)」と言わせるのが勝利条件。
なお、その本は小説で、両者とも未読のものでなければならない。本を探すときに、題名、装丁、オビなど、本を開かずに見える範囲の情報は見てもよい。
いったい何の勝負なのか、と思われるかもしれないが、何なんでしょうねえ・・・。
単にその小説が長いとか、難解なのとかではなくってですね、その人の中の何かに反するものと言いますか、例えるならば、純白のタキシードを着て外を歩けるか、みたいな(別に純白のタキシードが嫌いなのではない)。 親しい間柄の人同士の、それぞれの趣味や哲学的な、相手の本質を突く魂の対決、みたいな遊びかたな訳です(え、意味が全然わからないって?)。魂が敗北を認めたら、いさぎよく・・・。

結局、そのときは考えただけで、満足して終わってしまったけれど(満足、の意味がわからないぞ)。
2011.8
Connie Willis「犬は勘定に入れません」
機本伸司「神様のパラドックス」
森博嗣「科学的とはどういう意味か」
有川浩「別冊図書館戦争 Ⅰ 」
本屋に寄ると(寄らない、という選択肢はないのね)、まず深呼吸をして、本の香りで癒される。そして本を検分して歩く。初めての本屋でも、滅多に検索システムは使わない。自分で見ながら探していく。検索するくらいなら、ネットで買うし、何のために書店まで来ているのか、という問題ですね(それにしても何のためかしら・・・)。書店の検索システムって、ジャンルのコーナーが分かる程度じゃない?(偏見)。探している本を店員さんに聞こうにも、バイトだったら把握してないだろうしなぁ(偏見ですか)。以前ある時に、ちょっとマイナな漫画を買いにいって、マイナすぎて置いてある棚がどこだか分からず、そこの店員さんに聞いたら一発で「これです」と棚から取って渡してくれた。プロだ、と思って感動した。「えっと、その本は〜」じゃなくて、ずばり「これです」だからね(どちらに萌えるかは好みの問題)。店員さんは「あなたもそうなのね」という顔をしていた(そこには萌えない)。たまたま、ちょっと前に同じ本を探す客がいたとか、棚に入れたばかりだった、のかもしれませんが。
で、まあ、書店内を徘徊するわけですが(わざわざ言わんでも)、大型書店は、ワンフロアでだだっ広いよりも、ビル内の各階に分かれているほうが今は好きだ。理由は無い。各階で微妙に匂いが違う気がする。火事とか非常時に逃げにくそうだけどね・・・。本と一緒に焼かれるのも本望ではない。本に灼かれるのは私のXXXいたXXXとXXX(好きな言葉を入れて下さい)。
立ち読みはあまりしない。最近は何か衝動買いする本がないか考えてしまう。衝動買い、したい(何か矛盾してないか?)。と、とりとめのないまま、最後に書店を出る時は、ちょっとどきどきする(万引きじゃないよ)。
今回のお題は「偏見と妄想」かな・・・(いつものことでわ)。

たまには感想を。「犬は勘定に入れません」は犬がよかった。すばらしい。爆笑。
2011.7
Paolo Bacigalupi「ねじまき少女」
西尾維新「囮物語」
Minette Walters「囁く谺」
有川浩「図書館革命」
本屋に寄ると、まず平積みの新刊コーナーを見て(印象では、新刊をチェックする人って、マイナのようだ)、文庫本やハードカバーの棚を回り、コミックコーナーに立寄り、趣味の雑誌を眺めて、最後に、目をつけた本を集める順序とルートを決めて(はあ?と思った人、スルーして下さい)、レジに持って行く。絶対にこう、と決めてはないが、大体こんな感じ。
手当たり次第な訳ではなくて、もちろん好きな作家やジャンルを中心に棚を眺めているのですが。う〜ん、挙動不審かな・・・舐めるように見ているから(>誇張してますよ)却って万引きではないと分かりそうなものだけど(はあ?)。
冗談はさておき、子供の時分と比べて格段に回るコーナーは増えた。以前は、特定の棚にまっしぐら(驀地と書くらしい)だったけど。読む作家やジャンル数が増えたので、それこそネットでチェックしていれば良さそうなものなんですけどぉ、なんというか、性格ですよね(自分ひとりで納得している)。
専門の学術書コーナーがあると、割とじっくり内容を確かめるので、余計に時間がかかる(いいかげんにしないとね、といつも思う)。本屋にカフェなぞあった日には・・・(一石二鳥。鴨葱か?)。
2011.6
Sarah Waters「荊の城」
西澤保彦「聯愁殺」
有川浩「図書館危機」
森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」
本屋に寄ると、つい本を買ってしまう。その癖を改めねば・・・といつも思う、ことで購入量をセーブしているのだな(どんな言い訳だ)。
何も買わないのは欲求不満が溜まってかえってよろしくないし〜。本当に、誰に言い訳しているのやら・・・。

読書感想文が苦手、否、きらいである。
読後も1週間ほどは、だらだらと内容について思いを巡らせていて、ここでおしまい、というキリが(明確には)無いせいか。誰でもそんなものでしょうけど・・・。 だから、読後すぐに感想を聞かれると、実は非常に困る。自分では、まだ途中なんだけど・・・という感覚なので。あと1ヶ月後にまた聞いてくれ、とは流石に言えませんが。
同じ理由で、以前は1つの本の後に、すぐ次を読むことができなかった。こちらは、慣れの問題だったのか、今ではそうでもない。
そうそう、読書や映画のあとは、わりとダイレクトにその夢をみる。単純な性格・・・。
2011.5
Emily Brontë「嵐が丘」
森博嗣「自分探しと楽しさについて」
有川浩「図書館内乱」
霧舎巧「新・新本格もどき」
言わずとしれた Wuthering Heights 。意外に読んでいないのだな、これが。有名すぎて(意味不明)。邦題が格好よい(原題も)。

眠れない夜に読む本。
無いのだな、これが、意外に。本を読んでいて眠れなくなった、ならわかるのだが。眠れない時に読書したら、ますます眠れなくならない?(日本語、合ってますよね?)
眠れないから暇つぶしに、ってことかしら。読む本があるなら、自分ならハナから読んでいそうだ(で、眠れなくなる)。
わざと外してますが、つまり、読んだら眠くなる本を、自分は睡眠薬代わりにしたことがない。特に理由は無いのだが。
子供のころ眠れない時に、親が、眠れなくても良いから横になって休んでいなさい、という躾をしたせいか、眠れなくても特に何もしないようになった、のかな、きっと。眠れなくても気にしないので、不眠症で悩んだことがない。
最近は、いつでもどこでも眠れる自信があるし、面白い本を読んでいても眠たくなってしまう。歳だ・・・。
2011.4
Patricia Cornwell「遺留品」
西尾維新「花物語」
平山夢明「ダイナー」
有川浩「図書館戦争」
石川雅之「もやしもん Vol.10」
今月は読書が捗らなかった(独り言)。道楽が捗っても仕方が無いが、負けた気分になるのは何故かしら・・・。
春の新入生の自己紹介を聞いていて、思ったこと(新入生に限った話ではない)。
「趣味は読書」と言う人は結構いる。で、どんな本を読んでいるのか、という話になったときに、反応が2通り(独断と偏見)。「ジャンルは何々で、作家の誰某が好きです!」とアピールする人と、「えっと・・・」と言って、口ごもる人。
前者は、同好の士を見つけて一緒に楽しみたい、という雰囲気を伺わせる正統派。
後者は、とっさに言ったはいいけど、自分が読んでいるうちでどの本を出したら良いのか、言っても皆に通じるだろうか、そもそも恥ずかしい、等々という感じが綯い交ぜになって、迷いを見せる人。その気持ち、判るなぁ(独断と偏見ですよ)。
どちらがどうこう、ということではなく、趣味嗜好を人に話す時の、2つの側面、という話。もう一つあるけれど、それはつまらないので、書かない。
2011.3
田中啓文「辛い飴」
小林泰三「人造救世主   ギニー・ピッグス」
京極夏彦「豆腐小僧双六道中 ふりだし」
神林長平「アンブロークン・アロー 戦闘妖精・雪風」
自宅の本棚は鎖で壁に繋いでたので、先日の地震でも倒れなかった(自分の背よりも高いからね)。とはいうものの、見るともとの位置から5cmほど移動している。本が詰まっているので戻そうにも・・・、ちょっと押してみ。びくともしないですよ?・・・え〜っと、この本を一旦出さないとだわ。まあ、この程度で済んで・・・。詰め詰めだったお陰で、飛び出した本も無かった訳で(それってどうかと)。余震も続いているから、留め具も締め直して。この部屋では、当然、寝起きはしていない。
停電と節電で、今月は昼間に太陽光で読書することが多かった(ひなたぼっこ)。基本、読書は夜な人なので。読書って、省エネな過ごし方ではある。書籍を作ること自体がエコかどうかという問題はあるが。
今さらながら、地震で流通が滞ったり物資が不足したときはネット配信が強いかなぁ、と思いました。そういえば大学図書館では、被災地支援で絵本や児童書の収集をされていましたが、そういったものは、実際に手に取れるのが大事かな、とも思う(ケースバイケース)。子供に電子書籍の絵本というのもねぇ・・・考えが古い?でも絵本って、絵や文字だけでできているのではないものね。子供にとっては、読むだけのものでもないし。
2011.2
Robert Charles Wilson「時間封鎖」
冲方丁「天地明察」
法月綸太郎「六人の女王の問題」
西尾維新「傾物語」
本の置き場所。
本棚のスペースが無くなってきたので、新たに本棚を買わなくてはいけないのだが(いけませんか)、問題はその本棚の置き場である。 既に部屋の一面は全て本棚。反対側の押し入れは当然ながら本棚と成り果てているので(当然ですか)、あとは窓と、隣の部屋へ続く引き戸(全面)で、それらは塞がないことにしている。
すると、レール式にして重ねるか、部屋の中央に置くしか無い。耐震補強も必要だし、そんな、何か後戻りできない一歩を踏み出すのは流石に気が引けるので、実行はまだ先か・・・。
そう、その、本棚に本を収納するという発想自体が普通ではない、かもしれない、とは前に書いたような気がするが、たぶん普通の人々(反@ス@ー団体ではありません)は、捨てるか、段ボールに詰めて物置行き、ですよね、やっぱり。
本棚に配置する理由は、検索のし易さと、眺めて悦に入るため?(並べるという行為が、そもそも、ね・・・)。
では、図書館に行けば良いんじゃ?(やっぱり)。以前に何かで読んだけれど(図書館のことではなかったかも)、図書館は全て自分の蔵書で、それを一般公開している、と思えば幸せ、みたいな(思うだけですよ)。
2011.1
中井英夫「真珠母の匣」
西澤保彦「夢は枯れ野をかけめぐる」
Minette Walters「女彫刻家」
Connie Willis「最後のウィネベーゴ」
今年の抱負(読書の)。
はい、大方の予想通り、そんなものはありません。食事の抱負とか、睡眠の抱負とか、掃除の抱負とか、ダイエットの抱負とか(すいません)、くらい意味の無い、は言い過ぎか、まあ、あてにならない。実現した試しがない、偶然以上の確率では。
それでも年頭にあたって、予定らしきものを考えてみようかと。実現率はたぶん60%以下(結構高いぢゃないの)
まず、既に買ってある本が、ええと・・・10冊くらいかしら(憶えてない)。そして、人から貰った本も5〜6冊あるので、それを読む。以前に、本をプレゼントされたくない、と書いた気がするが、もちろん勧めてくれる相手によります。お断りしておきますが、未読所有本を片付けよう、という発想は全くありません。例えて言えば、平衡状態なので(なかなかの言い訳だと思うのですが、鼻で笑われるだけでしょうか)
それから今年出版予定の本で、読むと決めているものが5冊くらいはある。出版自体があてになるかどうかは問わない(すいません)。
その他、コーンウェルとコニー・ウィルスをぼつぼつ読んでいくつもり。あとは、大体わかるでしょ?(誰に聞いてるの)
雑誌をもう少し買おうかしら。漫画は全く考えに入れていないが、例年どおり20冊くらいは読むのかも。
あ、読みかけで放置してあるのが2冊あったかも(慚愧に堪えません)。それは何とかしたい、何とかなるものなら・・・。