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読書偏歴
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読-書-偏-歴
2009



2009.12
Stieg Larsson「ミレニアム2 下」
森博嗣「自由をつくる自在に生きる」
Clayton Rawson 他(HPM1819)「天外消失」
P. D. James「女には向かない職業」
映画館でミレニアムの映画ポスターが貼ってあるのを見た。見に行くか・・・。
子供の頃、読書感想文を書くのが嫌・・・苦手だった(今でも苦手だ)。自分の感想文を、誰がこんなもの読むのか、と、不思議に思いながら(学校の先生に決まっているが)、提出の前日に四苦八苦して書いていた。
先生がこの本を読んでいるかどうか不明だから、あらすじを書かないと何の感想か判らないだろう。「あらすじを延々と書いてはいけません」と言われたから、ほどほどにしないと。ダークな感想をそのまま書いたら怒られそうだ、真面目な感想だけを書こう。そもそもどんな感想だったっけ?まあいいか、今思いついたことを書けば。しかし、未読の人に感想を言うのはいけないんじゃないかな(当時は「ネタばれ」という言葉は知らない)、もったいないからオチは内緒にして。別な本からの引用もつけるか。ああ、もう寝る時間、明日が締切なのに。等々。
子供心に悟ったことは、これは読者を想定した創作なのだな、ということ・・・。
2009.11
Ellery Queen「ニッポン樫鳥の謎」
北村薫「ニッポン硬貨の謎」
Barrington J. Bayley「時間衝突」
Stieg Larsson「ミレニアム2 上」
長い前振りだった。いや、「ニッポン硬貨」を読むために国名シリーズを読破していたわけじゃないけど、たまたまです(知らない人には何の事やら)。
何から読むか。つまり、初めて読む作家のどの作品から読むかってことですが。
シリーズものは順番にだろうけれど(いや、これもそうとは言い切れないのですが)、それ以外となると、出版年順?有名どころから?、逆に有名なのは後回しにすることとか、ありますよね(え、無い?)。
「とりあえず多く出ている出版社の文庫の最初からかな」「短いのから読んだほうが挫折しにくいと思います」「人に勧められた作品から」「映画化されたものから」「挿絵で決める」「読者ランキングの順に」「最新作から読む」「国語の教科書に載ってたんで・・・」「好きな作家が原作のトリビュートやパロディ、ノベライズだったから」「神のお導きで」等々。
「そんなこと真剣に考える奴の気が知れない」と思った方、ですよねぇ・・・。
予告。近いうち谷崎を読むつもり。さて、何から?「痴人の愛」ではないな・・・(まだ決めてない)。
2009.10
Stieg Larsson「ミレニアム1 下」
Ellery Queen「スペイン岬の謎」
J. G. Ballard「溺れた巨人」
森博嗣(萩尾望都 原作)「トーマの心臓」
読書の秋ですか(また思ってもいないことを)。「長夜」は秋の季語だが、じゃあ、「読書」は季語か?
「トーマの心臓」の原作は既読。萩尾望都の作品は、感想をどう言ったらよいかよく判らない。好きですけど・・・。美術館で絵画を眺めてその世界に没入する感じ、それが顕著のように思える(美術館の絵のようだ、という意味ではない)。感想が変ですね。
小説の漫画化や映画化、あるいはその逆のノベライズについて、両方ともチェックすることは稀。(「ミレニアム」は映画化?どうしようかな〜。キャストによる。)
ミステリィは特に難しい(ですよね)。一時期、横溝正史は結構読んだけれど、映画やドラマは全く観ていない(何故ここで横溝か)。一応書いておくと、原作より劣るからとか、そういう理由は無い。当たり前ながら、両者は関係ないので。
最近、実写版ドラマを先に見て、後で漫画を読んだケースがあった。どちらもgoodだった。その順序もたまたまそうなった。
2009.9
霧舎巧「名探偵はどこにいる」
神林長平「敵は海賊・短編版」
Stieg Larsson「ミレニアム1 上」
Pat McGerr「7人のおば」
Pat McGerrの原題は「The Seven Deadly Sisters」。お終いまで、ミステリィということをうっかり忘れて読んでいた。「ミレニアム」は3部作、先が楽しみな展開である。読みたい本があると、生きる希望が湧いてくる(もちろん、沢山ある希望のうちのひとつ。生きる希望って、いくつくらいあるか?数えたことないけど〜)。

どこで読書するか、とは少し違う話。前に風呂やトイレでは読まないと書いたが(読める人は器用だ>褒めてます)、家の中で読む場所を頻繁に変える。1冊の本を読むのに、リビングや寝床やデスクチェアを点々として、寝転んだり座ったり立ったり。落ち着かない人だ、と自分では思っている。気分転換ではなさそう(全く転換していない)。子供のころはそうでもなかったような気がするけれど、じっとしていられる体力が無くなったかな?ああ、体が「気分転換」を求めてるってこと?ふーん・・・。
話がクライマックスにさしかかると、人目を避けたくなる(自分でも意味がわからないが)。
外出して喫茶店で読書するときでも、途中で喫茶店を変えて読むのが好き。旅行中の移動時に、列車などを乗り換えしながら読書するのも、自分の中では同じ感覚。
2009.8
西尾維新「偽物語 上・下」
森博嗣「ZOKURANGER」
Ellery Queen「チャイナ橙の謎」
Amy Thomson「ヴァーチャル・ガール」
石川雅之「もやしもん vol. 8」
「チャイナ橙」読みました。有名なアレです。そういうことか・・・。

長編が好きか、短編が好きか。
中編が好きです(嘘です)。何と云うか、短編(集)は好きと言えるが、長編は好き嫌いの対象ではない(判ります?)。デザートは好きだが、メインディッシュに好きとか嫌いとか言っても仕方が無い、みたいな(デザートのために食事をする、という意味ではない。メインディッシュは消化試合だ、とはちょっと思う)。
そもそも好みより中身の問題だろう、とか、大体、それらに明確な線引きがあるのか?字数で決まっているのか?とか、それをいうなら、上下巻は2つで1つの長編だが、長編の分冊数に制限は無いのか、とか(そもそも、大体、とかを使ってみました)。
連作短編とか、好きだな・・・。
短編が好きか、短編集が好きか、という問いもある(ネット配信で、短編はすでに単一で入手可能になった)。
いま読み続けているシリーズもの(>連作長編ね)は10くらい。中学生の時から読んでいてまだ完結していないものもある(1話完結型ではなく、作者も亡くなってはいない)。連作長編って、実際には連作長短編であることが多い。
2009.7
Ellery Queen「シャム双子の謎」
小林泰三「ネフィリム」
Poul Anderson「タウ・ゼロ」
Brian W. Aldiss「地球の長い午後」
Tom Godwin 他「冷たい方程式(短編集)」
「タウ・ゼロ」は妙なタイミングで読んだな。「地球の長い午後」、原題は'Hothouse'。ふ〜ん。「冷たい方程式」は良いです(これはクールなのかホットなのか・・・)。

大きな本が好きか、小さな本が好きか。
即答するなら「小さいほう」。でも別にどっちが好きということはなく時と場合による、のは当たり前なのだけれど、それも人によって様々な様子。例えば喫茶店に持って行くのは文庫本に限るかというと、割と大きな雑誌を持って来て広げている人もいるし。自分が携帯するならA4以下かな・・・ここで云う携帯とは、外出先で読むことを前提にしている。新聞とか折り畳んで小さくなるものもあるが、外で広げる気になれない。理由は無いがハードカバーは大きさに関係なく(あまり)携帯しない。
コミックは大きめのほうが良いと思うが、絵によるのかな。文庫タイプの漫画もあるけれど、あれは好きではない。どんな絵柄でも一律あのサイズというのは何だか違和感がある。
自分がとっている最近の学会誌は殆どA4サイズになってしまって、いまいち気に入らない。このあたりはB5以下が好きなのです。そうそう、携帯が前提なのに大きくて分厚く重いものといえば、学会の要旨集!(>また一般になじみのないものを)。規模の大きな学会の場合だが、厚さ3cmくらいあったりするので、ちょっとした電話帳なみ。あ、でもあれは好きだな・・・(何故かな)。要旨集も最近はCDやDVD配布に切り替わったけど。
2009.6
Ellery Queen「アメリカ銃の謎」
Laurence van Cott Niven「リングワールド」
Stephen W. Hawking「ホーキング、宇宙を語る」
森博嗣「君の夢 僕の思考」
大きな本屋が好きか、小さな本屋が好きか。
品揃えという意味では、大きな方が良い気がするが、なかなか一筋縄ではいかない。個人の立場としては、書店全体の品揃えはどうでもよくて、自分がよく読むジャンルが揃っているかどうか、にかかっている。店内のコーナーでも良いが、何かのジャンルに特化している方が好みだ。小さな本屋ではどうしても限界があるが、この分野に関しては大型書店に負けない、というものを持っている中堅書店をいくつか贔屓にして、それらを転々と巡る、という散歩の仕方が好き。
大きさに話を戻すと、広すぎる書店は、書店の中を散歩するという感じになって、それはそれで悪くない(戻ってないぞ)。しかし、大型書店によく設置してある検索機を使わないと求める本がどこにあるか判らないようなのは、あまり行く気がしない。本が多いから仕方が無い?そうかな・・・。広さと無関係に、どこに何があるか判りやすい書店と判りにくい書店が明らかに存在する。ある人が言うには店内のレイアウトで決まるそうだ。これは大型電器店もそうで、一度行ってみれば、品揃えとは無関係に善し悪しが歴然としているのがわかる。それがどうした、って?まあ、その店に行ってちょっと気分が良いか悪いか程度のことだけれど・・・。
2009.5
Ellery Queen「エジプト十字架の謎」
J. P. Hogan「巨人たちの星」
西尾維新「真庭語」
Barry Yourgrau「一人の男が飛行機から飛び降りる」
前回の続き、のつもり。
本は、割とまとめて買うことが多い、って前にも書いたな。もちろん一気には読めないのだが、未読書を眺めて、今月はこれとこれを読むか、と決めてから読む。読みたい本がある時に買って読み、読み終わったら次を買う、というほうが普通かもしれないけれど。で、未読書のストックのなかで、これは来月の楽しみにとっておくか、とか、いやいや、もう少し寝かせておこう、とか考えるわけです(ワインか)。本を買う時も、これはまだ買わずにとっておこうとか考えるし(意味不明なので他人には言わないほうがよい)。
小説でも漫画でもそうなので、漫画の長いシリーズものを月2、3冊づつ買って読む、と知り合いに話したら、よく我慢できるね、と言われたことがある。そうかな・・・(別に何かを我慢してはいない、いや、してるか?)。
「エジプト十字架」は再読。ユアグローは、読んだといえるかどうか自信が無い、という読後感。でも面白い。
2009.4
西澤保彦「方舟は冬の国へ」
米澤穂信「秋期限定栗きんとん事件(上・下)」
綾辻行人「びっくり館の殺人」
森博嗣「スカイ・イクリプス」
 待望の続編が出版されて、もう読んでしまった・・・はあ。もちろん面白かったのだけれど、これから、何を楽しみに生きればよいのか、という気分(まだ続きがあるから良いけれど)。
好きな作家の本を、意味も無く読まずにとっておいたりすることがあり、何故って、ほら、すぐ読んでしまったらもったいないし、もっと大事なときのために・・・みたいな(意味無いぞ)。 それもあってか、子供のころ、シリーズものは最新刊を買わずに、そのさらに続編が出てから買っていた。金銭的余裕も無かったし。今は大抵すぐに購入する(死ぬ前に読まないと?)。
小説でも漫画でも、素晴らしい作品を読むと、読んでいて息が詰まる瞬間がある。泣ける、というのとは全然違って、それが何かはよく判らない。以前は、その瞬間を大事にしたくて、未読の本をとっておいたりする心理だったのかも・・・。でも意味は無い。読んでしまった後々でも、そのインパクトが弱くなる訳ではない。
2009.3
笠井潔「オイディプス症候群」
Ursula K. Le Guin「闇の左手」
Peter Lovesey「マダム・タッソーがお待ちかね」
森博嗣「銀河不動産の超越」
 Guin は「ゲド戦記」の作者か、知らなかった。ラヴゼイ、面白い。他のも読んでみよう。
3月は学会シーズンで、移動しながら読書。飛行機の着陸時とか列車の降車駅に到着するときに、本の内容がクライマックスに差し掛かると、ハラハラする。これって、吊橋効果?・・・違うな。 大規模の学会になると、企業の展示ブースがあったり、学術書の即売会をしていたりする。書籍が25%オフとかなので、一応見て回るが、今回は欲しいものはなし。業者によっては事前に割引券を送ってきたりするけれど、こういうのは要不要がはっきりしているから、割引だから買うということはない。でも1万円2万円の価格が普通のものなので、やはり心動かされる・・・。
知らない人のためにあえて書くと、普通の書店では学術書の品揃えがイマイチか、ほとんど置いていない。ここでいう学術書には、当然だが洋書も含まれる。教科書や参考書として広く使われるもの以外は、専門分野の研究者がたまに買うだけなので、普段から漏らさず置いていたら店が潰れるだろう(>よく知らないですが、はい)。 有名大型書店よりも、大学生協のほうが品揃え豊富だったりする。即売の本の並びは壮観ではある。さらに、学術書のコーナーに人が群がる光景って他では見られない。買わなくても見ているだけで楽しい(買いなさいって)。
2009.2
Anthony Berkeley「毒入りチョコレート事件」
Meg Cabot「The Mediator, Twilight」
森博嗣「森博嗣の半熟セミナ 博士、質問があります!」
Ellery Queen「ギリシア棺の謎」
 小説とは別に、定期的に読んでいる雑誌は、現在は3冊で、それぞれ月刊と隔月と季刊でちょうど良い感じ(>何が?)。 季刊誌って、雨季と乾季しかない国では年に2冊なんでしょうか(当たり前のことを)。その他、パソコン、オーディオ、囲碁、の雑誌を不定期に買うくらい。 雑誌はあまり読まないほうだと思うが、自分でも特に理由が無いと思ったので、最近はなるべく不定期に衝動買いしている。普通、衝動は不定期だろう、ではなくて、定期刊行物を不定期に買う、という意味。 女性のファッション誌とか面白そうだけれど、多すぎるし、どれも同じように見える、と言ったら怒られたことがある。黙っていたほうが良いことは世の中に多い(「本屋の該当コーナーはカオスだ」と言わなくて賢明だった)。  研究(仕事)に関連する「学会」なるものに入会して会費を払うと、会誌が月一回送られてくる。現在は月3冊で、学会にもよるが内容的には会員の交流を主目的にした2次情報誌 (研究論文を掲載するジャーナルはまた別である)。論文誌はほとんど全て電子化されており、この学会誌も、そろそろWeb公開の形になると思っていたけれど、まだ先の話かしら・・・。
2009.1
神林長平「永久帰還装置」
森博嗣「議論の余地しかない」
西澤保彦「フェティッシュ」
西尾維新「xxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル」
石川雅之「もやしもん vol. 7」
 読んでいる小説や漫画に、自分で勝手に主題歌とかイメージ曲をつけることがある(ありますよね?え、無い?)。ある小説を読むと、何故か、特定の歌や曲を連想してしまう。 それが、なかなか楽しい(>それは良かった)。他人とは意見が分かれて喧嘩になるから、一人で楽しむのが良いようです。
 買ったことがないので詳しくは知らないけれど、主題歌付き小説も売っているみたい(場面ごとに挿入歌(曲)や効果音をつけたのもある?)。発想としては自然だ、というか、当たり前かな。 挿絵と同じようなものだし(乱暴にまとめました)。蛇足で書くと、電子書籍でなくても、紙媒体でも可能だけれど、その方がコストは高そう。
 自分はあまりしないが(>たまにはするのか)、小説の登場人物を特定の俳優のイメージで読む人もいる。もちろん、お気に入りの芸能人でも、周囲の人間でも構わない。黙ってさえいれば。 自分なりの幸せな読書を追求しよう(独り言です)。