秋田県立大学 地域連携・研究推進センターHOME研究紹介

キェルケゴール研究から、
人間の生についての哲学的探求へ

哲学 助教 鈴木 祐丞

今進めていること

 デンマークの宗教哲学者セーレン・キェルケゴール(1813−1855)の思想の研究をしています。
 キェルケゴールは、『死にいたる病』などの著作のほかに、膨大な量の日記を書き残しました。彼の日記の解釈に取り組みながら、並行してその邦訳を進めています。

少々詳しく言うと・・・

 キェルケゴールは「実存主義」という思想潮流の源泉として位置づけられています。自分の生に関わりをもたないような抽象的な真理についてではなく、自分自身がそのために生きる真理(彼にとってはキリスト教)のあり方をめぐってこそ思索を行うべきだ、と彼は述べています。
 これまで、実は、キェルケゴール自身がどのようなキリスト教信仰を生きたのかという、実存主義者キェルケゴールにとってもっとも本質的と思われる問いが、なおざりにされてきました。彼が著作で論じている宗教哲学のみに依拠して、キェルケゴールという思想家像が形作られてきたのです。高校の倫理の教科書に見られるキェルケゴールについての記述―「美的・倫理的・宗教的段階」という考え方の提唱者―はその一例です。日記を手がかりにして彼自身の真理(キリスト教)との関わり方を浮かび上がらせ、その知見をこれまでのキェルケゴール理解と統合し、新しいキェルケゴール像を作り上げようと試みています。

ここまで到達したい!

 現在取り組んでいるのはキェルケゴールという思想家を研究対象とした専門研究ですが、当然のことながら、より一般的な問題を視野に入れています。それは、人間の生の問題、「人間は、どのような存在であり、どのように生きるべきか」という問題です。キェルケゴールという思想家は、その極端に真剣な生と思想を通じて、この問題への一つの回答例―神の下にある人間は、信仰を体現して生きるべきである―を示してくれているわけです。今後は、倫理学などの知見も交えながらこの問題に向き合い、答えを手探りしてゆきたいと思います。

おまけの一言

 「答えのない問いについてムダに考えるのが哲学」という理解を持っている人がたまにいます。この理解は、部分的には正しいですが、部分的には不正確です。
 哲学とは、いろいろな物事について根源的なところまでつきつめて考える営みです。例えば、「どんな仕事につこうか」という問いは、「人間にとって仕事とは何か」「生きるとはどういうことか」「幸福とは何か」といった、ずっと根源的な問いを孕んでいます。こうしたレベルまで思索を深め、ごまかさずに考え続けててゆく営みが哲学です。「どんな仕事につこうか」という問いであれば、「獣医になる」など、明確な答えをわりとすぐに手にすることが可能かもしれません。ですが、例えば「幸福とは何か」という問いについてはどうでしょうか。そこには、明確な答えがあるのかないのかも分からない、果てしない思索の過程が待ち構えているわけです。こうして、哲学とは、往々にして、すぐ目の前には答えが見当たらないような問いに向き合う営みになるわけです。
 私たちは、常日頃、明確な答えが存在するかどうか分からないような問いに向き合って生きていて、そのことをムダなことだとは考えていません。恋愛についての悩み(自分は誰と付き合うべきか…)はその典型例でしょう。明確な答えは保証されていませんが、それでも真剣に考えざるを得ないわけです。同じように、答えの保証されない問いについて考え続けてゆく営みである哲学も、やはりムダなものではないはずです。