チェーホフ著「退屈な話・六号病室」(岩波文庫、p21-22)

 不幸にしてわたしは哲学者でもなく神学者でもない。わたしは自分が半年以上は生きないことをきわめてよく知っている。今やわたしの心を何よりもまず惹く問題は、黄泉の闇のことやわが墓場の夢を訪れるであろう幽霊のことであるべきだと思われるかも知れない。しかしこうした問題の重大さを理性は重々認めているのに、なぜかわたしの魂はそれを知りたがらないのである。 二、三十年以前もそうであったように、今も、死を前にして、わたしに興味をもたせるのものはたったひとつ、科学だけである。最後の息をひきとるときも、わたしはやっぱり、科学こそ人間の生活においてもっとも大切な、もっともすばらしい、必要なものであって、科学は常に愛の最高の現れであったし、またこれからもそうであるだろうことを、そしてひとり科学によってのみ人間は自然と自身に打ち勝つことを信じるだろう。この信念はもともと、あるいは素朴で、正しくないのかも知れないが、わたしがほかならずこう信じていることは、わたしの咎ではない、わたしは自分の中のこの信念に打ち勝つことはできないのだ。