自己紹介

私は植物生理学分野の研究者です(でした)。
細胞内の、かなり基礎的な機構を研究して学位をとり、
やがてバイオテクノロジー方面へとシフトしてきました。
この過程でバイオ・インフォマティクスの研究をする必要が
生じまして、研究の巾を広げております。

またそうした過程で技術移転にかかわったり、
仲間と起業したり
勤めていた研究所が閉鎖されたり、
新しくできた大学に拾われたり、
さらに新しくできた地域共同研究センターに加わったり、
子供が増えたりして忙しくしておりますが、
おかげさまで本人も家族も会社も、
いたって元気であります。




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レジュメ

1987年 埼玉大学理学部生化学科卒業
 卒研(渋谷勲先生)では,カルジオリピン合成酵素を
大腸菌で発現させる仕事をしていました。

1989年 名古屋大学大学院農学研究科博士課程前期修了
1993年 名古屋大学大学院農学研究科博士課程後期修了(渡辺昭先生)
「葉緑体へのタンパク質輸送の機構」
核ゲノムにコードされているタンパク質が、
葉緑体へ移行するためのメカニズムについて
インビトロでの再現実験系をつくり、調べました。

1993〜95年 日本学術振興会特別研究員 京都大学農学部 (佐々木幸子先生) 
「植物のアセチルCoAカルボキシラーゼの再分類と細胞内局在」
これは脂肪酸合成の調節部位にある酵素です。
植物ではなぜかそれが二種類、異なるコンパートメントに存在することを発見し、
そのうちの片方が(脂肪酸合成ではなくて)二次代謝に
かかわっているのではないかと考えました。
この酵素には「原核生物型」と「真核生物型」があるのですが、
植物の科によってその型が違うなんてことも見つけました。
琵琶湖にカヌーを出して植物採集したりして、楽しい研究でした。

1995年 COE特別研究員 農水省農業生物資源研究所 (中村保典先生) 
「デンプンの生合成」 中村先生はいま(たまたま)同じ学部におられます。
世間は狭い。松代から、つくば理研のはすむかいまで自転車で通勤していました。

1996年 基礎科学特別研究員 理化学研究所(桜井成先生)
和光本所で、アセチルCoAカルボキシラーゼ遺伝子群のコントロール領域を
調べていました。川越街道を自転車で通勤していました。
今よりも10Kg近く軽かった。

1996〜98年 秋田県立農業短期大学 附属生物工学研究所 講師
あの干拓の大潟村へ移りました。
もともと食物生産に興味があったのですが、
かなり農学よりのバイオテクノロジーを志向するようになりました。

1996〜02年 国立環境研究所 客員研究員 (兼任)
オゾン層破壊がもたらすであろう紫外線の影響を調べました
(中嶋信美先生との共同研究)。
まだいろいろひっかかってることが多いのですが、
いまこのテーマの研究はちょっと中断しています。

1998〜03年 秋田県立大学生物資源科学部 附属生物工学研究所 講師
新しく大学ができて喜んでおりましたら、
所属していた研究所が閉まっちゃったんです。
発展的解消ではありますが、ちょっと寂しい。
とはいえ、このあたりでバイオインフォマティクスの仕事を始めています。

2001〜03年 (株)先端科学技術インキュベーションセンター コンサルタント(兼業)
CASTIさんにはいろいろお世話になっております。
また同時期から(株)リクルートのTMDさんにもお世話になっております。

2002年11月〜現在 (株)スカイライト・バイオテック CSA(兼業)
初代社長は私の奥さんだったのですが、二代目の柴原”男前”健弥を経て
いまは3代目、私がCASTIに初めて案件を持っていったときからのつきあいの
中嶋”男気”拓史になっております。
役員もかわって、「動物園」と形容される多士済々な社員が
20名近く(超えた?)おります。
私は創立者の一人ですが、いまはアドバイザーとして関わっています。
....どちらかというと口じゃなくて、手を貸すアドバイザーですが
(そういうのってアドバイザーとは言わないような気もする)。

2003年-〜2006年
秋田県立大学生物資源科学部 講師
秋田市の海沿いの松林のなかに新しいラボがあります。


2004年〜2006年 
秋田県立大学地域共同研究センター 講師 (兼任)
大学ではこんな仕事もしていました。

2006年〜現在
公立大学法人秋田県立大学 生物資源科学部 准教授

2006年〜現在
理化学研究所 ゲノム科学総合研究センター 客員研究員 (兼任)
小長谷明彦先生のラボです。

Selected Papers


original: 03 Jan 2005; 06 Apr 2006
小西智一

秋田県立大学
生物資源科学部


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