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  大学での研究・教育のレベルは、研究者自身の哲学に大きく左右されることは自明の理であろう。昨今の大学と専門学校が溶解したような疑似大学とも呼べる大学の少なからずの出現は、「神の創られた摂理」ともいうべき自然の法則に頭を垂れて探求し人類の幸福に役立てる、という高邁な研究哲学はどこかに押しやられ、企業との下請的な共同研究へと取って代わられつつある。

 結局は昔の賢者が指摘したとおり、精神的な信義を重要と思うか、それとも、あくまでも実利的な処世知を重要と思うかに行き着く。どちらに行き着くかで、学生の教育や研究スタイルが大きく変わることは必然であろう。一方はプロセスや結果に至る思考過程も非常に重んじるが、他方は結果の見かけ上のできばえが良ければ、それで良いのである。これは昔の賢者が指摘したことであるが、身の回りの人々の活動を眺めればそのとおりであることが理解できる。

 本研究グループでは、世界のトップレベルのJournalに掲載される研究成果を出すことが一つの研究の区切りであり、ほぼ誰でも発表できる国際学会や、ましてや、国内の学会発表などは研究成果としてはカウントしていない。従って、10年先を見据えた長期スパンの基礎研究をその基盤として、その研究成果を世界に問うスタイルを取っている。ゆえに、外部資金としては科研費や基礎研究に助成する財団の助成金を主としており、企業からの下請的な共同研究を行うための研究テーマの設定の予定はない。

 最後に、理学部の物理系や化学系ではインパクトファクターの高い(0.5以下は問題外)Journalにどれだけ掲載されたかで、昇任・採用人事が大きく左右されると聞いているが、機械系でもそのような基準を早く採用しないと、基礎理論をきちっと研究・教育できる研究者を外国から輸入しなければならなくなる時が来ないとも限らない。米国の大学では外部資金で応用を念頭に置きつつ非常に基礎的な研究も重んじている印象を強く持っている。機械工学者が物理のJournalや応用数学のJournalに投稿することは珍しくも何ともない。日本では何人そのようなことができる機械工学者がいるか調べている人がいれば良いのだが。