大学受験の頃の思い出

機械知能システム学科 教授 神山 新一

 私の父は、戦時中、数名の工員を雇い、軍事用機械部品の製作を手掛けておりましたが、 終戦後は、いち早く食料生産に必要な精米機、精麦機の製造販売への切り替えをはかり、 神山機械製作所を立ち上げました。 そんな関係で、中学生の頃から、忙しい時には、木工作業(カンナ、ノミ、ノコギリ,金槌を使って) やボルト締め、旋盤作業の補助などの手伝いをさせられておりました。 しかし、高校に進学して、数学、物理、化学等の授業を受けているうちに、 これからのものつくりには、実地での(徒弟制度的な)修業も大事であるが、 学問を身につけて新たなものへ挑戦することも必要ではないかと考えるようになりました。 私の父は、根っからの職人(技術者)で、 私が高校を卒業したら家業を手伝わせようと思っていたようで、 「商売するには頭はいらん、腕を磨いておけ」というのが口癖でした。 そこで、おそるおそる、大学へ進学したいと申し出たときには、 大変驚いたようでした。何度か懇願した結果、 「そんなに行きたいなら、一度だけチャンスをやるから、 それで失敗したらあきらめて家業を手伝いなさい」 ということで許可して頂きました。

 最初は、理学部へと考えましたが、 高校の先生のアドバイスや家業のことを考えて、 また、失敗は許されないとの思いから工学部を受験することにし、 それなら、すばらしい業績を上げておられる先生の多い東北大学を受験することに致しました。 私のシステム科学技術教育の大切さのルーツはこの頃から芽生えていたのかも知れません。


 
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