2.庚申塚(こうしんづか)

地区・集落:街道端西

庚申(こうしん)とは、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)と呼ばれる昔使われていた暦の中の日付の一つで、初日から60日ごとにきます。
 庚申信仰は中国から伝わった道教の教えが民間信仰とくっついたものと考えられています。庚申信仰では、人体内に三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫がいるとされます。この三尸(さんし)は、庚申の日の夜中に、寝入った人体を抜け出して、天帝にその人間の悪さを報告する役割があります。天帝はその報告に基づき、その人の寿命を決定します。しかし、三尸(さんし)は庚申の日しか体内から抜け出せないので、この日だけ寝ずに過ごせば良いとされました。そのため、この日は「庚申待」と言って、夜を徹した飲み会などが開かれえたようです。庚申待の記念碑や供養等などとして建てられたのが庚申塚です。
 庚申信仰は、室町時代から流行が始まり、江戸時代に庶民の間に浸透します。明治に入ると、「全く根拠のない迷信」とされ一気に衰退していきました。なぜこれを地域資源としたかは、信仰というものは、その土地の住む人によって、考え方の中心であり、心を一つにする拠り所である。よって、その信仰の見える形としての庚申塚を地域資源としました。

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